冬のホテルで その2

前々回の続きです。

 

今にも倒れそうな小さな小さな背中を見送ってから数週間。Kentの頭の中には、ずっとあのおじいさんのことが離れないでいたのです。ちゃんと静岡まで辿り着けたのだろうか?途中で倒れていない?大きなお世話といえば大きなお世話なのですが、何しろあの身体で、一人で、浅草に、なぜ来たのか?まー、本当に大きなお世話である。

 

ある日、いつものようにロビーアテンダントしていると(ベルボーイの仕事の半分はロビーアテンダント。蝋人形のようにじーーーっと立っています)、「はっ、また来た!」。また来たは失礼ですが、でも本当にそんな感じで驚いたのを20年前の今でもよく覚えています。「おーー、Kentさん、Kentさん、また来ました~」と一生懸命口を動かします。

Kentは平静を装い「●●様、いつもご利用ありがとうございます。車椅子をただいまご用意しますのでしばらくお待ちください」

 

ほんの数週間前にアレだけのインパクトをKentに与えたお客様である。何をすればいいのかすでに経験済み。無事にチェックインさせると、特にリクエストがあるわけではなく、うれしそうに微笑んでいるだけのおじいさん。きちんとしゃべることができないためコミュニケーションが取りずらい。加えて共通の話題も無い。80歳前後の方と20歳の若造である。シーーンとした部屋でKentは部屋に関して同じ説明を繰り返します。

 

それから数週間置きにこのおじいさんはKentに会いに宿泊してくるようになりました。何を話すわけではなく、このおじいさんがロビーに現れるとKentがアテンドし、翌朝にはチェックアウトしていく。いつの間にか仲間内では「Kentの顧客」と言われるようになったのです。

 

ある日、いつものようにおじいさんが姿を現すと、いつもと違う光景がそこにあり、女性がひとりおじいさんの近くにたたずんでいるのです。すでに車椅子に座り、私の出社を待っていたようです。

 

「あら、Kentさん?わたくし静岡に住む娘の●●です。いつも父がお世話になっているようで」

「あっ、お嬢様ですか。静岡からいらっしゃるとは聞いていたので、お身内の方がいらっしゃるとは思っていましたが」

「そうなんです。このところ父が楽しそうに出かけていくから何があるのかと思っていたんですよ」

「そうでしたか。いつもお一人でいらっしゃるので、いつも私がアテンド差し上げておりました」

「一度ご挨拶させていただきたいと参ったんですよ」

「そうですか、わざわざありがとうございました」

 

こんな時、ホテルマンの「やりがい」のようなものを感じるのだと思います。今の仕事はお客様の留学のお世話をして、その後その経験を生かして社会で活躍する報告があり、「あの留学があってこそ今の自分があるんです」なんていわれると、この仕事を辞めずによかった・・・と思います。ホテルマンは今の仕事と違い、お客様と接する時間が短く一期一会の精神を持ってしても、どうしてもその場限りの関わりで終わることが多い。そんななか、このような出来事は20歳の自分にとってはまさに宝物のような出来事だったのです。

 

フロントの前でお嬢様とひとしきり挨拶を済ませ、フロントから鍵を受け取りチェックインしようとすると、鍵を渡しながらその日のフロントマネージャーがKentにこう耳打ちしたのです。

 

Kent、たいがいにしておけよ」

 

「たいがいにしておけよ」当時この意味がよくわからず、「はぁ」などと間抜けな答えをして鍵を受け取った記憶があります。Kentも当時のこのマネージャーの年齢になり、なんとなくその意味がわかるような気がするのですが、おそらくこのマネージャーは、毎回Kentが担当していたためKentをある意味可愛そうだと思い、「たいがいにしていいんだからな」という意味があるのと、あまり特定のお客様と距離を縮めるなよという意味の「たいがいにしておけ」という意味なのだと思います。おそらく後者の意味が大きかったでしょう。

 

この耳打ちによりそのときの気持ちが萎えてしまったことを今でも覚えています。

 

直接これがホテルを辞めることとなった理由ではないのですが、その後Kentはホテルを辞め、あのおじいさんと会うことはなくなりました。Kentが一方的に姿を現さなくなったことにより、あのおじいさんはその後もあのホテルに来てくれたのだろうか。

 

20年経った今でも冬の街中で小さなおじいさんの背中を見ると、ふとあのおじいさんのことが思い出され、同時に「たいがいにしておけよ」の言葉も同時によみがえるのです。

 

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